【音色 〜cherry’s piano〜】

 ピアノの音が聞こえる。
朝靄の残る学校から、綺麗な旋律が奏でられている。
どこかで聴いた音色、懐かしい印象を受ける。
日差しのきつい夏の日の、涼しげな早朝、自然と音楽室に足が向かう。
この音を、いつ、どこで聴いたのであったろうか。
なぜか自然と涙があふれてくる。
あぁ・・・この音は。


「寒っ、さすがに12月にもなると冷えるなぁ」
今日に限らず、最近はずっと冷え込んでいる。雪が降り積もるという土地でもないのであるが、それでも冬の厳しさは苦手である。そういうわけで朝の寒いの一言が日課となってしまっている。
私立高校に通う普通の高校生、神代直弥は現在高校三年生。頭はまぁ悪い方ではなく、教師からは下のランクなら国立大学も狙えると言われている。しかし、直弥も類に漏れず何をしたいのかが分からず、とりあえず進学するだけのための勉強を行っている。
「今日の模試でセンター前の模試は最後なんだよなぁ〜」
そういって声をかけてきたのは悪友の早川秀輔。こいつはどこで勉強しているのであろうか、ゲームオタクのくせに学力は文系クラスのトップをひた走っている。
「余裕なんだろ?志望校。まさか秀輔様が御緊張でもなさいましたか?」
冗談交じりに悪友に声をかける。
「うっせー。緊張しないわけないだろ。入試で人生決まるんだぜ」
そう早川の行った何気ない一言が、重い。
「人生か・・・。」
果たして自分が本当に大学で学びたいことが決まるのであろうか。秀輔なんかは弁護士になりたいと言って法学部に進学するのだから、ある程度の道は決めているのであろう。
 模試も終わり、帰宅の準備を始めた頃、窓から1つの教室に明かりが灯っていることに気がついた。
「なぁ秀輔、あそこの教室って・・・」
なんとなく何の教室かは分かっていたのだが、確信が持てずに問いかけた。
「あぁ、文化棟の方だな。あの教室は・・・第三音楽室か? クラブとかに使うからって解放されている教室だったはずだな。まぁ俺たち受験生には全く関係のないところだな。どうせ受験に追われていない1・2年が遊んでんだろ?」
「あぁ・・・。それより悪ぃ、今日これからせんせーに呼ばれてるんだ。先にかえっていてくれないか?」
実際、呼び出しなどは受けていない。なぜかこの言葉が出てしまったのだ。
「ふーん。おけ、分かった。本当のところは何があるのか知らないけど、今回は首つっこまないでおくよ。」
勘のするどい奴め。長い付き合いだ、嘘なんかお見通しか。でも男と分かり合いすぎ
ているってのも気持ち悪いな・・・。

文化棟。こちら側の棟は文化系クラブに入っていない限り、音楽などの授業がない三年になって来る用事はない。暗くなった建物にポツンと浮かぶ明かりが気になったのか、どうしてもそこに行かなければならない衝動に駆られたのか。今となってはその両方であったのではないのかと考えている。
廊下に響くのは自分の足音だけ。立ち止まって外の様子を見ると、夜の闇に浮かぶ街灯の明かりが見え、いつの間にか夜の凛とした空気が広がっていた。文化棟に入ると同時に、自分の足音の他にピアノの音色がうっすらと混じってくるようになった。
ピアノの音に導かれるようにして、音楽室に足を運ぶ。
扉の向こうから、ピアノによって奏でられた旋律が運ばれてくる。
扉の前に立ち、その音に聞き惚れている。クラシックの曲など聴かないのだが、何故かその音にだけは神秘的な印象を受け、興味を持った。扉を開けることで今ある空気が壊されてしまう様な気がして、扉を開けることに躊躇する。

「入っていいよ」
扉の中から自分に呼びかける声がした。
何故、自分がここにいるのか分かったのであろうかという疑問があったが、ピアノが
止まってしまった今、扉の前で突っ立っている必要もない。
重たい扉を開け、音楽室の中に入る。
久しぶりの教室。懐かしい匂いと夜の教室の匂いが混ざって、なんともいえない雰囲
気を感じた。
「御影・・・さん?」
「あれ、私のこと知っていたの?」
彼女は御影櫻、クラスは異なるが、学内では結構有名人だ。明るく、性格も良く、美人
と三拍子揃っていることが人気者の要因の1つなのだろうが、なんともいえない雰囲気
を持っていることが他から注目されるのであろう。
「直弥君はこんな所で何しているの?」
「なぜ俺の名前を??」
「狭い学校ですからね、ってそうすれば私の名前知っていても当然か。」
自分で納得している。
「えっと、君影さん?」
「櫻でいいよ」
いやいや、それは照れるから。
「何てれているのよ。名前で呼ぶことに照れてどうするのよ」
そうはいってもなぁ。仕方ない。がんばるか。
「それじゃあ櫻、ここでなにしているの?」
「さっきの私の質問に答えるのが先じゃないのかな?」
そういや答えてなかったっけ。なんで此処にいるのか。自分でも説明しにくいな。
「えっと、なんとなく来てしまった。が一番適当かな」
「何とも明瞭な返答ね。」
「答えようがないんだから、仕方がないって。で、そっちは?
とりあえず話の流れを変えておく。
「ピアノ弾いてるの。」
「見りゃわかる。」
「そっか。ま、今日はこれで終わろうかな。」
「なんで?もっと弾いてくれよ。」
思わずそういってしまった。
「あらら、私にもファンが出来ちゃったかな」
実際、櫻にはファンが沢山いる。ピアノではなく容姿という点であるが。
「いや、そういう訳じゃ・・・」
「いいよ。ファン第1号に任命してあげる。」
これは喜んで良いのだろうか。
「喜んで良いよ。」
「えっ?」
「なんか複雑そうな表情をしていたから。それに私のピアノを聴いてくれた人なんて今までいなかったし。」
「そう。さっきの曲はなんて曲?」
「私の創作なの。感想は?」
「え?・・・なんか不思議な曲だなぁっと・・・」
「なにそれ。今度はこっちが複雑になっちゃいそう。」
「あはは。でもいい曲だったよ、それに音楽に疎い俺なんかの感想なんてたかがしれているしさ。」
「そう。良い曲か・・・。」
櫻が何かつぶやいた。
「え?何か言った?」
「ううん。なんでもないよ。それより、そろそろ学校閉まっちゃうね。帰らなきゃ。」
「送ってくよ。」
「え、いいよそんな。多分親が学校の下まで迎えに来てくれているから。
「そうか。じゃあ下駄箱まで一緒に帰ろうか。」
「わかった。ちょっと待ってて。すぐかたしちゃうから」
それから、僕と櫻は他愛もない話をしながら下校した。
一人になって、今日の曲のことを思い出す。
確かにあの曲は綺麗な旋律を奏でていた。
しかしどこかしら哀しげな雰囲気を含んでいたのも事実である。
普段の明るい様子とは180度異なった櫻が弾く、普段のイメージと合致しない曲。
この違和感に早く気がつくべきだった。この時、すでに物語の歯車は回り始めていた。
小さくながらもしっかりと咬みあって・・・。
                                
続く